嫌われ者から主役へ:オタクとビアリールの進化論

- 暇つぶしをしている人
- 博士の頭の中を見たい人
ある日、頭に雷が落ちたような衝撃が走った
これは、新しい反応を思いついた時と同じ感覚だ
この感動的な発見を忘れてしまう前に筆を取ることにした
「オタク文化」と「ビアリール化合物」って同じ流れを辿っているではないか
ーーーあの“マルコヴィッチの穴”のように、ミントガム中の頭の中を体験してみてほしい
Phase0:ビアリール化合物とは
「ビアリール化合物」
その名の通りアリール基が二つ繋がった化合物である。
医薬品から有機材料まで、ありとあらゆるものに含まれている骨格だろう。
ビアリール化合物が含まれる製品を目にせずに1日を終えることは不可能と言っても過言ではないだろう。
例えば、今あなたが見ている「ディスプレイ」、肩こりに効く「フェイタス」、思春期の味方「ニキビの治療薬」にも含まれているんだ。



Phase1:認知され始め「厄介者時代」
まずはオタク文化とビアリールの草創期を考えてみよう。
二つとも認知されはじめは厄介者扱いされていたように感じる。
オタクは「気持ち悪い」という偏見の対象に、ビアリールは「効率の悪い厄介者」という評価に。それぞれが“扱いづらい存在”として社会(もしくは研究室)から距離を置かれていた。
以下に少しだけまとめてみた。
オタクという存在が広く認知され始めたのは「宮崎勤事件」がメディアで取り上げられた1990年前後のように思う。
1992年に放映されていた、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で佐野史郎が演じた“桂田冬彦(通称冬彦さん)”というキャラクター
彼が日常に存在する不気味な存在「オタクでマザコン」として描かれていたことも印象的である。
このようにオタクという言葉が世間に認知され始めた時、その印象は最悪で「オタク=犯罪者予備軍」という扱いをされていた。
1970年代以前、ビアリール骨格を合成する手法はほとんど存在しなかったように思える。
「ウルツカップリング」や「ゴンバーグ・バックマン反応」など選択制や官能基許容性なんてあったものじゃない反応で強引に合成していた?
それとも何stepもかけて環を巻いた後に酸化による芳香族化をしていた?
収率に期待なんてできない。教授に「作って」と言われたら、顔面蒼白になる難敵であったに違いない。
Phase2:世間に理解される「名誉挽回時代」
世間から冷遇される時代がしばらく続くと、必ず救いの手が現れるものである。
それは彼らも例外ではない。
オタクは「流行語」に、ビアリールは「ノーベル賞」に輝いた。
厄介者としての影はなく、日本が世界に誇る文化となっていった。
以下に少しだけまとめてみた。
オタクの印象が明確に変わったのは、「電車男」のブームのタイミングではないだろうか。
書籍はベストセラー、映画化にドラマ化、「萌え」というワードの流行語化
当時を生きた人でこのムーブメントを知らない人はいないだろう。
「世界の中心で愛を叫ぶ」などにより引き起こされた純愛ブームに「電車男」のウブな恋愛像がフィットし、2000年代の日本を代表する作品となっていった。
ここを境に、オタクが象徴するものは「犯罪」から「萌えカルチャー」へと変貌を遂げたように感じる。
オタクを公表する芸能人も現れ始め、「オタク文化」は明確に社会へ溶け込み始めた。
熊田・玉尾・Corriuカップリングなどのクロスカップリング反応の開発により、ビアリール化合物は有機化学者との距離がみるみるうちに近づいていった。
特に鈴木・宮浦カップリングの登場により「幼馴染のあいつ」のような存在になったと言えるだろう。
これまで苦労していたビアリール骨格構築が市販試薬から、わずか1STEPで合成できるのだから反応開発は素晴らしい。
オープンキャンパスの練習実験でも題材になるくらい簡単な実験でビアリール化合物を作れるようになってしまった。
少しの金属触媒とハロゲン化合物、ボロン酸と塩基を混ぜるだけで高い収率で合成できてしまうのだ。
その構造が持つ機能もどんどんと解明され始た。
ビアリールはあらゆる場面に使われ、頼れる存在になったのである。
Phase3:そして日常へ「生活必需品時代」
爪弾きものにされていた時代はどこへやら。
オタク文化もビアリール化合物も、いつの間にやら我々の生活に欠かせない存在となっている。
推し活という形で多くの人の心の支えになったオタク文化
医薬・材料・農薬などありとあらゆる場面の基本構造になったビアリール化合物
この二つが存在しない日常なんて考えられない。
まさに“生活必需品”である。
老若男女問わず、多くの人が当たり前のように「推し」の存在を公にしている昨今
「推し」を応援する資金を稼ぐために辛い労働を乗り越える
「推し」を通じたコミュニティで友人ができる
「推し」がいてくれるから今日も元気に過ごすことができる
オタク文化は単なる趣味の域を超え、人々の「モチベーションの源」「社会的な繋がりのきっかけ」「精神的支柱」となっている。
個人の好きという感情だけでなく立派な産業にまで発展した推し活は、人生の一部、いや人生の大部分であるだろう。
実際、2023年にはオタク市場全体で3兆円規模とも言われており、単なる趣味の枠を超えた巨大産業に成長している。
クロスカップリング反応の開発後、毎日何報もの論文にビアリール化合物は登場しているだろう。
今や、ハロゲン化物に限らず、芳香族エステルやエーテル(教科書に出てくるような一般的な構造)など様々な化合物からビアリール化合物は合成できるようになっている。
反応開発を専門とする化学者にとって、ビアリール骨格は親の顔より見た存在かもしれない。
材料化学者も、そのπ共役に魅了され、新機能を探し求め。
創薬化学者も、化合物ライブラリーとしてビアリール骨格を検討する人も多いのでは。
錯体開発専門家のあなたも、とりあえず鈴木宮浦カップリングを試しているのではないだろうか。
機能を探索するときも、新反応を開発するときも多くの人のファーストチョイスにビアリール化合物が君臨しているように思う。
ビアリール化合物は、化学者にとっての生活必需品であると言えるだろう。
もちろん、さまざまな機能性物質に姿を変え、社会にとっても欠かせない存在になっている。
おわりに
今回は「オタク」と「ビアリール」、2人のアウトサイダーがどうやって主役の座をつかんだのか。その軌跡を辿ってみた。
化学者のキミも、化学者では無いキミも、たとえ今自分が好きなものが世間に認められていなくても気にしないで欲しい。
あなたが好きであり続けることで、少し先の未来では多くの人を魅了するようになっているかもしれない。いや、なっているだろう。
「オタク文化」「ビアリール化合物」に続くムーブメントを作るのはあなたかもしれません。